お知らせ高等学校
生徒・保護者の皆様へのメッセージ(1)
新型コロナウィル感染症の感染拡大のために臨時休校が続いています。今、何より大切なことは心のあり様です。不安と緊張でストレスのたまる毎日ですが、心を整え踏ん張りましょう。これから何回かに渡って、そのような皆さんへメッセージを送っていきたいと思います。今回は、学校長からのメッセージをお届けします。
【諦めない情熱】
あるアメリカ人の話をします。彼の名前はハーランド、1890年にインディアナ州に生まれました。6歳の時に父親を亡くし、10歳から農場で働き始め、14歳で学校を辞めることになりました。すべて家計を支えるためです。そして機関車修理、ボイラーマン、保険の外交員、タイヤのセールスなど40種類以上の職を転々としました。そして30歳代でガソリンスタンドを経営します。しかし、大恐慌と干ばつに見舞われます。人の良い彼は、トウモロコシ農家に後払いでガソリンを売っていましたが、農家が支払うことができなくなり、倒産しました。
その後、今度はちょっとした食事ができるガソリンスタンドを経営します。「おいしいもので人を幸せにしたい」という思いでおいしい料理を提供し、繁盛、その料理の評判が良いためレストランにし、本格的に料理を提供するようになりました。
しかし、また彼を不幸が襲います。息子を病気で亡くし、その数年後火事で店が全焼するのです。でも彼は挫けませんでした。何とかレストランを再建します。やはり人気のレストランとなり繁盛します。ここまで困難を乗り越え頑張ってきました。これで終わり、としたいところですが、そうはいかなかったのです。何と高速道路が建設され、開通すると車と人の流れが変わり、国道沿いの彼の店には客が入らなくなってしまったのです。再び倒産し、借金を返してほとんど無一文になります。その時、彼は65歳です。
さあ、彼はどうしたでしょうか。彼は大人気のメニューのレシピを他のレストランに売ることにしたのです。そこには「おいしいもので人を幸せにしたい」という思いがありました。店でお客さんが喜んでいる姿を忘れられなかったのです。そして、その料理が売れた分だけお金をもらうということをしました。移動は自動車で、なけなしの年金でガソリンを買い、寝場所は車の後尾座席。
しかし、老人の飛び込み営業に応じる店はありません。言われたNoの数は1009回。そして1010回目、ようやく買ってくれた店がありました。そうするとその料理が評判を呼び、多くの店が買い求めるようになりました。そうして73歳の時にはアメリカ最大のフランチャイズレストランになったのです。
彼は幾度となく訪れる不幸に負けることなく、「おいしいもので人を幸せにしたい」という情熱を燃やし続けてきました。彼は1935年に「州の料理への貢献」が評価され、州知事から「大佐」の名誉称号を与えられました。「大佐」は英語で「カーネル」、州知事はケンタッキー州です。分かりましたね。彼はハーランド・デヴィッド・サンダース、そのカーネルを頭につけ、カーネル・ハーランド・デヴィッド・サンダース、カーネル・サンダース、そして、その料理は君たちも食べているケンタッキー・フライドチキンなのです。
彼は成功してから多くの慈善事業も行い、孤児院を援助したり、肢体不自由児の基金を作ったり、病院や教育、ボーイスカウトなどの活動に資金を提供しました。世の中に大きく貢献するようになったのです。
実は彼の話は意外に最近になって聞いたのです。なぜ様々な話がある中で特に私の心に響いたかというと、極めて私的なことで恐縮ですが、少し話します。私の母が4年前に亡くなったのですが、法事の時に兄弟で母の話をしていた時、何が好物だったかという話になって、80歳を過ぎていましたが、何とケンタッキー・フライドチキンだったと言うのです。私は知らなかったのです。それでも時々、自分が好きで買って行ったことが何度かあったのですが、その時、実はとても喜んでくれたのだということを知りました。年をとっていても好きだったチキン、サンダースの「おいしいもので人を幸せにしたい」が、ここに自分にもつながっていたのです。何とも言えない思いに駆られました。
彼が諦めなかったこと、人を幸せにしたいということが、苦労して生きてきた母親を幸せにしてくれたことの一つになっているとは。私自身も彼に感謝です。
大切なのは「人生を諦めないこと」「自分を諦めないこと」ですが、その根底には「他のために」、という心があるのです。「大変だ」と挫けそうになった時、頑張って自分を支えてくれている人たちのことを考えてみて下さい。きっと、「ここで諦める訳にはいかない」という気持ちが自然に湧いてくるはずです。
校長 青木一男