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お知らせ高等学校

生徒・保護者の皆様へのメッセージ(3)

【夢はどこまでも続く(2)】

ラグビーに情熱を燃やした生徒たちも、いよいよ進路を決めなければならない時が来ました。学習に対しても頑張っていた彼らです。その甲斐あって、結果として主将は大学ラグビーの人気・実力で頂点に立っていた早稲田大学の社会科学部に、エースで足を怪我した彼も、同じ早稲田大学の人間科学部に入学、あとの2人も同様に一般の入試でラグビーの強豪校へと進みました。彼らはあまり言葉にしていませんでしたが、ラグビー歴1、2年の彼らが人生の考え方、生き方を変えてくれたラグビーを続けたいという彼らの気持ちはよく理解できました。まだ満足はしていない、次はさらに上のレベルで頑張りたいと。
では、準決勝で腕を骨折した彼のことを話します。実は彼は1年生の時、私のクラスの生徒でした。2年生になる時に他のクラスへ移りましたが、元のクラスメートたち4人がラグビーに打ち込んでおり、日常生活の雰囲気も変わって人間的に成長した様子を見て刺激を受けたのか、入っていた部を辞め2年生の途中からラグビー愛好会に入ってきたのです。最初は考え方も甘く、やや軽い感じの彼でしたが、徐々に仲間たちの影響を受け、人も変わって特に自分に対して厳しくなり、フルバックとしてもキッカーとしても、なくてはならない存在になっていきました。
その彼が骨折した時のことですが、彼は、ここまで来たら何がなんでも仲間と絶対に決勝戦に出たいという強い思いを抱いていました。当然のことだと思います。決勝戦の日まで3、4日しかありませんでしたが、この状態でも出場を可能にしてくれるお医者さんを必死になって探し回りました。評判を聞いては、その病院に訪ねて行き、断られる、これを何回となく繰り返す。傍から見ていて不憫で仕方なかったと、その様子を見た先生方は後に話していました。骨折した腕でラグビーの試合に出る、それは土台無理なことです。最終的に吉岡先生に体育教官室で諭されます。すると彼は、体育館のトイレで号泣、その数分後、踏ん切りをつけた顔で出てきたのです。そうして自分の思いとプレイを代わりの2年生に託し、腕にギブスをした状態で、練習でも試合でも大きな声を出し、常にその2年生に寄り添って指示・指導をしていました。
そして、その後、彼はある大きな決断をします。不完全燃焼のままでは終われないと思った彼は、決まっていた大学を蹴り、他の4人と同じように一般入試でラグビーの強豪校へと進む決意をするのです。そして、一年浪人をして、見事、早稲田大学に合格、国立競技場の7万人の大観衆の前で選手としてプレイするまでになりました。(彼の代わりをした後輩もまた早稲田大学に入学、レギュラーとして活躍します。)少し前まで愛好会で、ラグビー部歴1年足らずの選手がです。夢は追うものです。本当に苦労、努力はするものです。そして挫折はバネになるもの、というかバネにしなければならないもの、そう彼は教えてくれました。
現在、國栃ラグビー部も、後にラグビーワールドカップ日本大会で活躍した田村優選手を始め、大学やトップリーグで活躍する選手を次々と輩出、栃木県で20連覇、花園でも常に上位を狙うチームとしてその名を全国に轟かせるまでに成長しました。今回紹介した話は、数あるラグビー部のドラマの中の1つに過ぎないかもしれません。しかし、原点と言えるものは、遥か遠くにあると思える夢であっても、自分を信じて常にその夢を追い続ける彼らのひたむきさにあったと思うのです。

校長 青木一男